枯れた木の葉がまばらについている樹木をみつけて
秋が終わろうとしてるのに気づいた。
いつの間に季節が変わってたのだろう。
おばあちゃんが今月の五日に亡くなったので今日で17日目だった
おばあちゃんと呼んでいるけど私の義母、つまりお姑さん。
ウチは仏教徒だから、法要は亡くなった日から七日ごとにするの本当らしいけど
もろもろ事情があって、今日、アンジョさんにおいでいただいて
14日目なのか21日目なのか、どちらかの法要をしていただいた。
アンジョさんというのは、たぶん庵住さんと書くんじゃないのかな?
檀家を持たない寺(庵)にお住まいしている尼さん。
ウチのおばあちゃんより一つ年上らしい
庵はガタガタで、アンジョさんの一人住まいのはずだけど
人じゃないものはイロイロ住んでいそうな物件。
アンジョさんもインパクトのあるかただから
説明を始めると長くなるけど、きょうはおいといて
おばあちゃんの話にもどそう
5年前に肺がんが見つかって、以来何回か手術して
病気の割に元気に過ごして今月の五日に亡くなった。
最後まで頭はしっかりしていて、意思が明確だった。
自分のやりたいことを貫きとおし、生き抜いたって感じだった。
今年の夏、おばあちゃんは具合が悪くなっていたけど
それでも、やりたいことは絶対やると決めていたらしい。
畑のせわ、人との付き合い、家のこと
まきこまれた人は、そりゃタイヘンだった。
「タイヘン」の詳細は、データに直したらどのくらいの量になるだろう
とにかくお葬式の後までアドレナリンの分泌が止まらず
関係者全員が暴走したように働き続けた。
悲しみや怒りや憎しみやそういう感情は全然なかった
むしろ連帯感や充実感があって、妙だった。
この妙な感じが、どうもうまく表現できない。
昨日、ずっとお世話になった訪問看護師さんとお話しする機会があったので
「お葬式の時、悲しいというより充実感あったんですよ。こんなことってありますかね」
と告白してみた。
彼女も、当惑というよりは同感といった表情だった。
こういうのって不謹慎だろうか?
そう思う気持ちがあったので、今まで書けなかったんだけど
でもそうなのだ。
もう少したてば、もう少し気持が整理できるのかもしれないが
とりあえず今は、こんなところだ。
そうそう。
私の気持ちの整理がなかなかつかないのは
この夏、おばあちゃんの看病と、長男の結婚という
生涯めったに無いようなイベントが同時進行していたからで
嬉しいと悲しいの両極端にあるイベントが同時進行してたから
私の弱い頭はこんがらがっているのだと思う。
ちなみに2月に孫が生まれる。
これだけの情報を処理するのに私の脳みそだと、かなりの時間がかかるのだろう
メモリーが少ないとか、たぶんそんな理由で
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