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2010年8月27日 (金)

術後二日目

食事の時間が近くなると、痛みがやってきて
今日は三食とも食堂に行くことができなかった。
ベッドでの食事となる。

婦人科で入院していた皆さんが一斉に退院してしまい
残っているのが整形外科のお年寄りばかりになってしまったので
よけいに、食堂まで行こうという元気が出ない。

長女は昨日学校へ戻って行ったから今日はもう病院に来ない

昼ごろ夫が来て、家の様子を話してくれた。

夫と話をしていたら主治医の先生が見えて
「子宮、見ますか?」
という。
「癌の有無を調べるために検査に出してしまうから
見たいのなら今日しかないのだけれど」
とのこと
手術前に、取り去った臓器を見たいとお願いをしておいたので、部屋まで持ってきてくれたのだった。

思ったより大きなかたまりだった
250gあったとのことだが、先生の両手の上に乗っているそれはもっと大きく見える
大きく見えるのは病巣がよく見えるように切り開いてあったせいかもしれないが。

出血をさせていた筋腫は、子宮の真ん中にでんと居座っていた。
軸の太さがウズラの卵大の、シメジダケかエリンギのような物体だった。
その向こう側に、筋層内にできていたという球形の筋腫が見えるように切り開かれていた
こいつら二人組の合わせ技で、私は憂鬱になるほどの痛みと出血に悩まされていたわけだ。
もうひとつ、子宮の上部外側に瘤が一つくっついていた。
三つの瘤のくっついた子宮は、男性である主治医の先生の広げた両手のひらを充分に覆い隠すほどの大きさだった。
これじゃあ、お腹切り開かなくちゃ、取り出せないよね。と納得。
腹腔鏡を使った手術は無理、と先生が言ってた理由がよくわかった。

子宮を残して、筋腫だけを摘出する手術については、最後まで心が揺れていたけれど
これだけの大きさの筋腫を全部取り除く負担を考えたら、やっぱり思い切って子宮ごと取り去ってしまって良かったと思う。

ずいぶん痛い思いはしたけれど、傷が治れば健康が手に入る。
更年期がくるまでのあと何年かあるかわからない期間、一か月のうち半分を生理の痛みと憂鬱で過ごさなくても良くなるのだ。心が軽くなったような気がする。

午後、父と母が見舞いに来た。
手術当日にも来てくれたのだが、私は麻酔が半分かかったままの状態でいたから挨拶さえしてなかった。
母は、私が自立歩行しているのを見てずいぶんと驚いていた。
母自身も、25年ほど前に私と同じ病気で子宮の全摘出を行っているのだけれど、自分が手術した時には
何日目に痛みが治まったのか、何日目に歩いたのか、まったく覚えていないと言っていた。

話をしているうちに二男が来た。
学校の帰りに自転車で病院まで寄ってくれたようだ。
「のどが渇いた。暑い。疲れた。」
と言って、母が見舞いに持ってきた飲み物や果物を夢中でむしゃむしゃ食べている。
健康っていいな。

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