心と体

2020年8月27日 (木)

近況報告です

残暑厳しく感染症が猛威を振るう今日この頃、たいへんにご無沙汰しております。

 

 ずいぶんと長い間更新をサボっていました。

お借りしているサーバー主様から『更新できなくなりますよ!』とのメールをいただき

「あらまたいへん」

とあわてふためき、とりあえず近況報告をいたします。

 

 体調を悪くしたり、仕事を辞めたり、孫が増えたり、夫が難病に罹ったりと色々ありました。

 

詳細は

徒然なるままにひぐらしパソコンに向かいて、心に移り行く妄想のよしなしことを、そこはかとなく書きつづれば、

怪しすぎて物狂おしすぎてどなたにもお見せできませんでした。

 

 それではまた、今日はこれで失礼いたします。

 

 

2010年9月 8日 (水)

術後二週間後

気がつけば、手術から二週間が経過しようとしています。

退院直後は台所に立っていると直にお腹が痛くなってきて
一回の食事の用意をするのに2~3回の休憩を入れなければならなかったのに
今では一気に食事の用意ができるようになっています。

PC向って座り続けるのもだいぶ慣れてきました。
同じ姿勢をとり続ける体力が付いてきたのだろうと思います。
帰宅直後は、背筋を伸ばして椅子に座るのだけでもつらかったものですが、今は平気です。
当たり前のことを当たり前にできる。
これがどんなに幸せなことかと実感しています。

一昨日から外へ散歩に行くようにもなりました。
9月とはいえ真夏並みの暑い日々が続いていますが、
歩かなければ体力は付かない!と思い込んでいるので頑張っています。
とはいっても、休憩を入れながら20分も外に出ていればせいぜいなのですが;

職場のお休みはあと2週間ほどあります。
考えてみればこんなに長い休暇を取ったのは、二男を生んだ時以来です
すこしばかり頑張り過ぎたから、病気になったのかも・・・と少し反省もしています。

子宮の喪失感はありません。
手術日に生理のピークが来てたので、手術してなければそろそろ不正出血が始まる頃です。
出血のないことで、ものすごい安心感があります。

手術前は出血に合わせて、鉄剤を用意し、痛み止めを用意し、仕事の段取りまで立てていました。
それでも、段取りどおり行かない不正出血に悩まされ・・・もう全部昔の話です

卵巣は残したので、その卵巣が本来の更年期を迎えるまではホルモンのバランスが崩れることはない。
これが、手術前に主治医の先生から受けた説明でしたが、体が治ってくるにつれ、これを実感しつつあります。
もっとも、仕事が始まってストレスがかかるようになってくるとバランスが崩れてきそうな気もしますけどね。
まぁ、先のことを考えてクヨクヨするのも嫌なので、今の時間をゆっくり楽しみたいです。

家族には、ずいぶんと心配も掛けてしまいましたし、負担も負わせてしまいました。
とくに夫には、ずいぶん仕事を休んでもらいました。
やりつけない家事もいろいろとこなしてもらいました。
ありがとうね。

2010年9月 2日 (木)

術後八日目-退院

朝食後、主治医の先生が見えて傷を紙テープみたいなもので止めてくれた。
ケロイド防止のためにそうするのだそうだ。
頼りなげなテープだけど生々しい傷あとが少しでも隠れてくれると安心感がある。

予定通り、今日の午後退院の許可をもらった。
ようやく家に帰れるよ。

昼食を終え、着替えを済ませ荷物をまとめると疲れがどっと出て普段着のままでベッドに横になる。
早く迎えに来てくれないかな。待ってるだけでバテてしまいそうだよ。

ようやく夫が迎えに来てくれた。
お会計を済ませ、病棟ナースステーションに挨拶して帰る。
入院費は「高額療養費限度額認定証」っていうのをあらかじめ事務の窓口に出しておいたので
自己負担額が10万円とちょっとで済んだ。これを出さないと自己負担は20万円くらいになったらしい。
もっとも、窓口で20万円払ったとしても、いずれ高額療養費相当分は健康保険から戻ってくるんだけどね。
でも、病院に用意していく現金が半分になるのはありがたい。

家に帰ると叔母が夕食の用意をしに来てくれていた。
いつもお世話になります。ほんとうにありがとう。

少しでも家事をしようと台所に立つけれど、15分もするとお腹が痛くなってくる。
叔母に「いいから寝てなさい」と叱られる。

家事ってこんなに体力いるんだったけ?
って思った。

まだまだ体力ないけれど、ぼちぼち無理せずやっていこう。

2010年9月 1日 (水)

術後七日目

抜糸してもらった。
正確には抜ピンというらしい。傷は糸で縫い合わせてあるのではなく、ホチキスの針のようなもので止めてあるから。
手術直後から傷を覆っていた透明なフィルムをはがす時も、ピンを抜いてもらう作業も、たいして痛くなくてほっとした。
消毒してもらって、傷をガーゼで覆ってもらってた。
今日のシャワーの時に自分でガーゼを外し、病棟で消毒してもらいなさいと先生から言われた。
痛めどめがもう少し欲しい胸を先生に伝える。
ピンがなくなったら傷がひきつれるような感覚がなくなった。
お腹が軽くなったようだ。嬉しい。

シャワーの時に傷をじっくりとみた。
昨日まで透明フィルムの下に真っ赤に透けて見えていた傷は普通の肌色をしている。
だけど革製品の縫い目そっくりに、皮膚と皮膚とが縫い合わさったままの状態だ
その両脇にピンの跡が赤く点々としていて薄気味悪い。
フィルムで覆われていたときには気がつかなかったけど、お腹の皮膚も痣でもあるように、ところどころ変な色をしている。内出血の跡か、腫れの跡か何だろう。触ると少し痛い。

昔話に出てくる山姥の口って、こういうのかもしれないな・・・なんて唐突に思う。
小さい子供にこれを見せて
「山姥だぞ、食べちゃうぞ」
って言ったら絶対に信じる。信じすぎてうなされると思う。

この傷、どの程度まで治るんだろう。

傷口を消毒してもらい、ガーゼで覆ってもらったけど傷を乾燥させるために部屋に戻ったらガーゼは外すようにと言われる。

傷がむき出しになるのが怖くて2時間くらいそのままにして置いたけど、検温の時には看護師さんのチェックが入るだろうからその前にガーゼを外した。

眠るときにもむき出しの傷がとても不安。痛くはないけど。

-術後八日目退院へ-

2010年8月31日 (火)

術後六日目

今日は、夫も二男も病院に来れないと言っていた。
誰も来ないとひどく寂しい。そしてヒマ

長女がヒマな時にと言ってジグゾーパズルを買ってきてくれてあったのを思い出す。
やってみるが、根気よく作業するということって、こんなに大変だったっけ?
じっと座っているとお腹が痛い。集中しようとすると目が痛い。肩も凝る。
パズルしてみたり、寝たり、本読んだり、テレビつけたり、うだうだしながら一日過ごす。

体重を量ってみたら50kgなかった。
いつもの体重が52kg~54kgなのでかなり減ったのだ

体重は減ったけど、鏡に映る私はやつれていかにも病人みたいなのであまりうれしくない。
自由に動き回ったり、仕事したりするための筋肉やスタミナが失われた分だけ軽くなっているんだろうから。

一刻も早く体力を回復させたくて、院内の散歩も看護師さんに叱られない程度に続けている。
一日ごとにすたすた歩けるようになっていく気がする。

主治医の先生に、痛み止めをもう少し処方しようか?
と尋ねられた。
確かに今日飲めば終わってしまうのだけれど、できるだけ痛みどめなしで過ごそうと思っていたので
とりあえずはいらないと答えた。
昨日の夕方から飲まずにいられるのだし、大丈夫な気がしたから。

でも、眠る前になったら鈍い痛みがやってきた。我慢するのは嫌だったので一回分を飲む
残っているのはあと一回分。
やっぱり明日、痛み止めをもらうことにしよう。

-術後七日目へ-

2010年8月30日 (月)

術後五日目

昨晩は眠れなくて困った。
昼間眠りすぎたのかもしれない。

手術直後は、どんなに眠っても足りないくらい眠っていたのに
眠る時間が短くて良くなったてことは、治ってきたって考えてもいいのかな?

朝食の途中でせきが出始め、お腹に響いて苦しくて困った。
今朝は、食堂で相席になったおばあちゃんと話が弾んでいただけに
早々に退散するのは残念だったけど、苦しいのにはかなわないのでベッドに戻る

シャワーの後で、傷口に水がたまっているように見えたので看護師さんに見てもらう。
順調に治っている証拠で、これでいいのだと説明される。
傷口は透明のフィルムに覆われていて良く見えるので、ちょっとした変化も怖く感じる。

傷の痛みが薄れるにつれ、ちょっとした体の変化が妙に気になる。

今日も二男が自転車でやってきた。
まともなものを食べていないからひもじくてしょうがないという。
確か冷凍庫に、何日分かのおかずを作って置いたがそれは食べてしまったのか
と尋ねると、そのままになっていると答える。
解凍して食べればいいのに。
できない人に訴えにこないで、自分で何とかしなさいよ。
と言おうと思ったが、可愛そうなのでやめた。

退院するまで、頑張りなさいね。と励ましておく

-術後六日目へ-

2010年8月29日 (日)

術後四日目

5時に目覚める。お腹は痛くなかった。
お通じあり。発熱なし。血圧はやや低め。

毎朝こんなことを確認して、看護師さんに報告。
病人だなぁ。と思う。

寝てばかりいるから腰が痛い。
ベッドわきで静かに体操のまねごとをする。
傷が開けば困るから、静かに静かに・・・だ。
4人部屋の私の入っている病室は、ただ今個室状態。
なので気楽。

少し動くと疲れて、ベッドに横になると腰が痛い。
六時をまわり、検温が済んだので病院内を散歩しようと思い立つ。
スリッパでは危険だと思ったので靴をはき、廊下で出会った看護師さんに告げてから外来ホールまで行ってみた。
静かにゆっくり歩く。というかゆっくりとしか歩けない。
傷はたいして痛まないけれど息が切れる。
途中、座って休みながら歩き、30分くらいかかって部屋まで戻ってきた。
距離は、健康な時なら5分かからないくらいの距離。
ほんとうに体力ないんだな。

朝食が終わると疲れが出て、午前中を眠って過ごした。
午後、夫が来てくれた。
月曜から3日間、仕事が忙しくなるから来れないという。
さびしいな。

夫が来てくれたので、もう一度散歩しようと思う。
今朝と同じく外来ホールまで行ってみたけど、今度は下腹とわき腹が痛くなってしまった。
マラソンでもしたように疲れた。

ベッドで休んでいると主治医の先生が見えた。
今日は日曜だから出勤してないと思い込んでいたんだけど。お当番だったのかな。
散歩したことを告げると
「歩くのはいいことだけれど、絶対に無理はするな」
と、くぎを刺された。

経過が順調なら水曜に抜糸の予定。傷の様子をみてそれ以降なら退院可能とのこと。
夫には木曜に休みを取ってもらう予定だったので、木曜に退院したい旨を先生に伝える。

歩きまわった割には今日は発熱もないようだ。
ただ、時々せきが出る。これが怖い。
手術中、気管チューブがのどに入っていた影響か、不意に痰が絡んでせきが出るのだ。
せきが出ると、下腹に力が入って痛いのだ。

のどあめを常に携帯していて、せきが出そうになると口に含んでやり過ごした。
これは入院前にネットで検索して読んだ知識。
のどあめは本当に助かった。

術後四日もたつと、やることもなくなってとにかくヒマだ。
だからと言って、本を読む気力も出ない。なんとなくボーっとしている。

-術後五日目へ-

2010年8月28日 (土)

術後三日目

真夜中に痛みで目が覚める。
痛み止めを飲もうと思ったのだが、空腹時に飲んではいけないと注意書きがあったのを思い出す。
病棟にある自販機まで、ヨーグルトを買いに行く。歩くたびに痛い。
ベッドに戻ってヨーグルトを飲みこんで薬を含んで水を飲む。
真っ暗やみの中で、ベッドにうずくまっていた。

暗闇の中でじっとしているとロクなことを考えないと思ったから、ラジオのイヤホンを耳に差し込む
若い女の子が番組をやっていた。AKB48かな?
内容は少しも頭に入ってこなかったけど、元気そうな声を聞いていればネガティブな考えは湧いてこないからいい。聞きながら眠ってしまったらしい。

朝の検温では微熱があった。
今日からシャワーを浴びて良いといわれていたのだけれど入れるかな。
看護師さんに相談すると「くれぐれも体調をみながら無理しないように」
とのことだった。
「シャワーの時間に体調良かったら入っていいのだな」
と解釈する。

朝食はがんばって食堂で食べる。
ご飯を食べただけでものすごく疲れて、午前中はそのまま眠ってしまった。
お昼に看護師さんに声をかけられて目ざめる。
お昼はベッドまで持ってこようかと聞かれたけど、がんばって食堂まで行くことにする。

一休みしてからシャワーに行く
直前まで、だるさがあって行こうか行くまいか悩んでいたけれど
結局シャワー浴びて良かった。気持がさっぱりとした。
裸になったついでに、浴室の鏡に映して傷をじっくり観察する
手術の翌日には15cmくらいに見えた傷だけど少し小さくなった気がする。
腫れが少し引いてきたからだろうか(退院してからメジャーで測ったら傷の長さは11cmだった)

浴室から戻ってきたら二男が来ていた。
今日も学校の帰りに寄ってくれたとのこと。
今日は土曜日だったけど補習があったんだって。ごくろうさん。
二男と話をしていたら長男がやってきた。
ワイシャツにスーツのズボン姿。
金曜に仕事が終わらなかったので、今日も出勤になってしまったとのこと。
ごくろうさん。

長男が冗談を言っては笑わせるので、傷が痛くて仕方ない。
長男が来たのが術直後じゃなくてよかったよ。
笑わされ過ぎて死んでたかもしれない。

そうこうしているうちに夫もやってきた。
ベッドに横たわるおばさんの周りに男三人って「逆ハーレム?」
たのむから、これ以上笑わせないで、傷が開いてしまうよ

夫は、夕食の準備をしてきたからこんな時間になってしまったと言っていた。
長男と、ワイシャツの枚数を確認しあったり、クリーニング店には誰が行こうかと話したりしていた。
男所帯だけど、我が家はなんとかなってるみたいだな。
家のことは頭からふりはらって養生しよう。

-術後四日目へ-

2010年8月27日 (金)

術後二日目

食事の時間が近くなると、痛みがやってきて
今日は三食とも食堂に行くことができなかった。
ベッドでの食事となる。

婦人科で入院していた皆さんが一斉に退院してしまい
残っているのが整形外科のお年寄りばかりになってしまったので
よけいに、食堂まで行こうという元気が出ない。

長女は昨日学校へ戻って行ったから今日はもう病院に来ない

昼ごろ夫が来て、家の様子を話してくれた。

夫と話をしていたら主治医の先生が見えて
「子宮、見ますか?」
という。
「癌の有無を調べるために検査に出してしまうから
見たいのなら今日しかないのだけれど」
とのこと
手術前に、取り去った臓器を見たいとお願いをしておいたので、部屋まで持ってきてくれたのだった。

思ったより大きなかたまりだった
250gあったとのことだが、先生の両手の上に乗っているそれはもっと大きく見える
大きく見えるのは病巣がよく見えるように切り開いてあったせいかもしれないが。

出血をさせていた筋腫は、子宮の真ん中にでんと居座っていた。
軸の太さがウズラの卵大の、シメジダケかエリンギのような物体だった。
その向こう側に、筋層内にできていたという球形の筋腫が見えるように切り開かれていた
こいつら二人組の合わせ技で、私は憂鬱になるほどの痛みと出血に悩まされていたわけだ。
もうひとつ、子宮の上部外側に瘤が一つくっついていた。
三つの瘤のくっついた子宮は、男性である主治医の先生の広げた両手のひらを充分に覆い隠すほどの大きさだった。
これじゃあ、お腹切り開かなくちゃ、取り出せないよね。と納得。
腹腔鏡を使った手術は無理、と先生が言ってた理由がよくわかった。

子宮を残して、筋腫だけを摘出する手術については、最後まで心が揺れていたけれど
これだけの大きさの筋腫を全部取り除く負担を考えたら、やっぱり思い切って子宮ごと取り去ってしまって良かったと思う。

ずいぶん痛い思いはしたけれど、傷が治れば健康が手に入る。
更年期がくるまでのあと何年かあるかわからない期間、一か月のうち半分を生理の痛みと憂鬱で過ごさなくても良くなるのだ。心が軽くなったような気がする。

午後、父と母が見舞いに来た。
手術当日にも来てくれたのだが、私は麻酔が半分かかったままの状態でいたから挨拶さえしてなかった。
母は、私が自立歩行しているのを見てずいぶんと驚いていた。
母自身も、25年ほど前に私と同じ病気で子宮の全摘出を行っているのだけれど、自分が手術した時には
何日目に痛みが治まったのか、何日目に歩いたのか、まったく覚えていないと言っていた。

話をしているうちに二男が来た。
学校の帰りに自転車で病院まで寄ってくれたようだ。
「のどが渇いた。暑い。疲れた。」
と言って、母が見舞いに持ってきた飲み物や果物を夢中でむしゃむしゃ食べている。
健康っていいな。

-術後三日目へ-

2010年8月26日 (木)

術後一日目

目が覚めると朝の8:00を過ぎていた。
看護師さんが熱いタオルで体を拭いてくれた。
紙おむつらしいものを外されて初めてそんなものを身につけていたことに気づく。
持参した下着を着けてもらう。術後は出血があるからとパットも装着
汗でべとべとのOP衣からパジャマに着替えさせてもらう。
顔を拭くタオルを手渡されて自分で拭く、腕が重い

体を起してもらって、お茶を手渡され、静かに飲む。
お茶を飲み終わり、体を少し倒したいがベッドを動かすボタンにも
ナースコールにも手が届かない。かなりがっかりする
おしっこの管じゃまだなぁ、早く抜いてくれないかな。歩きたいな

じきに看護師さんが来てくれて体が横になれるようベッドを倒してくれた

回復室から病室にベッドのまま移動

長女がニコニコしながらやってきた。
「昨夜は泣かしてごめんね」
気になっていたのですぐに謝った。

のどが渇いてしょうがないのでマスクをする
検温にきた看護師さんにのどの渇きを訴えると
「お水飲んでいいのよ。だって、今朝お茶飲んだでしょ」
さっそく娘にお茶を買ってきてもらって飲む。おいしい

夫とおばが来てくれた。少し話をするが疲れる

昼食におかゆが出た。一口食べると元気が湧いてくるような感じがした。
美味しいのだけれど、すぐに満腹になってしまい半分くらいしか食べられなかった
痛みが出てきたので座薬を入れてもらう。

主治医の先生が様子を見に来てくれたので手術のお礼を言う。

手術は何の問題もなく予定通り無事に終わったそうだ

傷口が気になったのでパジャマをまくりあげてみてみる
真っ赤な傷が縦方向に15cmくらいあるように見える。おへその3cmほど下から恥骨のあたりまであるよね
ホッチキスのでっかい針みたいなので傷を止めてあるのが透明なフィルムの下に透けて見える
お腹が妙にでこぼこして見える。腫れているのかな。

午後になっておしっこの管を抜いてもらった。
最初の自力歩行でのトイレは看護師さんと一緒。
歩くのが大丈夫そうだったので、次から一人でトイレに行って良いと言われた
しばらくおしっこの量を測るから、流さずに採っておくように言われ
コップとビニール袋を示された。コップで採尿してビニール袋に溜めておくのだ
ビニール袋にはメモリがついている

夕方点滴がいったん終了
針は刺さったままだけど、ずいぶんと楽になった。
夕食は食堂に行って食べた。
ほかの患者さんと話がしたかったんだけど、ものすごく疲れた。
「冷や汗かいてるじゃないの。あなた大丈夫じゃないよ」
と手術の先輩患者さんに心配をかけてしまった。
術後って尋常じゃないほど体力なくってしまうんだな。
痛みを感じて痛み止めを飲む。

-術後二日目へ-

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